プロフィール

はじめまして!

当ブログ管理人のtakashiと申します。

僕は現在北海道在住のごく普通のサラリーマンですが、

普通のサラリーマンと違うところと言えば、

妻と2人の子供はインドネシアのバリ島に住み、

僕もバリ島移住に向けて準備本番といったところです。

僕はエリート商社マンという訳でもないですし、

英語がバリバリ話せて海外でも働けるスキルがあるかというと、

全くありません。

英語なんて中学生レベル

コックか理容師なら世界中どこでも食べていけると

言いますが、もちろんそのどちらでもありません。

本業は結構ブラックな業界で体力的にもハードで

勤務時間も長く休みが少ない職種です。

もちろん御多分に漏れず給料も普通です。

そんな僕が普通でないと言えば、自宅で仕事の

オフタイムを使って副収入を生み出して

海外移住の夢を実現させる直前まで行っている

という事でしょうか。

そんな僕の事、ちょっと語らせて貰えればと思います。

順風満帆なサラリーマンライフ でも転落は突然に

母子家庭で絵に描いたような苦学生だった

少年時代を経て(ここはちょっと重すぎるので割愛します)

実業高校を経てSEの仕事に就きました。

世はバブル時期で好景気に沸くさなかでしたが、

バブル崩壊で一気に業界が不景気に・・・

本来外交的な性格の僕は籠って作業するSEの

仕事ではなく、お客様と接する接客系の仕事がしたくて

実家に戻り、とある物販業界の仕事に就きます。

楽しい事も辛いことも沢山有りましたが順調に

キャリアアップを重ねて10年。

北海道に移住し、ちょっと特殊な業態ながらも

素晴らしいオーナーと仲間にも恵まれて実績も上がり

充実した日々で、お金にもさほど困らない中で、

今の妻と出会い結婚

第一子が産まれて家庭も円満、仕事も充実していて

幸せの絶頂のときに暗転が訪れます・・・。

突然の閉店

元気で快活であったオーナーに突然の重病が判明

オーナーの体力的に店舗運営を続けていくことが

困難になりました。

自分が店を引き継ぐことも考えましたが、

第一子が生まれたばかりで、資金的にも能力的にも

当時の自分の実力では店とスタッフを護って行けるはずもなく、

涙を飲んで店の終わりを見送りました。

今現在の自分の能力があれば引き受けてたなー。

デスマーチA社

縁があって大きな会社(A社とします)に入ることが出来て、

安定生活が待っているかなと思いましたが、ここからが

苦難の始まりでした。

同族経営の年功序列。
大手企業にありがちな数字だけの評価。
閉塞的な社内環境。

僕の持っているスキルはいわばニッチな需要向けなので

全く評価されず歯車のごとく扱われます。

感情を殺してやり甲斐を感じられない仕事を作業的に行う日々。

それが一年ほど続き、それに少し慣れてきたころ、

健康が回復した前職のオーナーから、全く別の業界の

大手量販チェーンB社の社長を紹介されました。

「君のそのスキルを活かしてほしい!」

もう渡りに船でした。

デスマーチB社

有名チェーンの本部勤務だけあって給料も結構良くて安定が

待っているかと思いきや、配属されたセクションを統括する上司は

人生最大最凶のパワハラ上司でした。

実はB社長と上司は折り合いが悪く、

上司のセクションの軌道修正の為に引き抜かれたのが僕でした。

そんなん事前に教えてくれなきゃわかんねーって・・・

社内でもパワハラで有名だったその御仁。

自分の立場を脅かす若造などと上手くやってくれるはずなど有りません。

ひたすらダメ出しされ続け、

人格も否定される、

大勢の前で激しく罵倒されたりは

しょっちゅうでした。

同部署の先輩たちはことあるごとに助けてくれましたが、

ストレスで円形脱毛症となり、3ヶ月で8キロ痩せました

振り返ってみると人生最強にヘビーな3か月でした。

そんな僕を見かねて、以前お世話になっていた業者の方が

新たな職場を紹介してくれました。

これまでの経験を活かせる専門店でした。

デスマーチC社

再び専門職の世界に復帰した僕は新しい職場で思う存分働き、

複数店舗の統括管理を任されるようになりました。

色々と有りすぎまして詳しくは省きますが、実績を守るために

朝早くから出社して夜中遅くまで働く。

疲れ切って心も折れた状態で、同じく反抗期に入った子供の育児に

疲れ果てている妻との会話も無くなっていく。

心身ともに本当に消耗しきっていた時期でした。

そして3.11

そんな中で起きたのが2011年3月11日の東日本大震災でした。

この部分に関しては様々な想いと考え方をお持ちの方が

いらっしゃると思いますので敢えて割愛しますが、

私たち家族にとっては価値観を一変してしまうものでした。

縁があって福島から自主避難されてきた方と触れ合う機会があり、

「やはり家族との時間を大切にしないといけない。」

そう決心して給料が下がっても家族との時間を大切に出来る会社へ

転職しました。

そして現在 D社

出張は多いものの仕事は比較的楽ではあるし、家族との時間は

以前とは比べ物にならないほど取れるようになりましたが、

半面、給料がかなり下がってしまったのは苦しく、

マンションのローン

日々の資金繰りに苦労する日々が続きます。

そんな中で第二子が誕生

リアルでお金の問題と正面から向き合うこととなり、

本当に倹約生活が続きます。

この時期、高校生の時より僕お金持ってませんでした(笑)

海外への視野

そして今の現状を変えようと色々と動きます。

海外の銀行口座を作ったり、利率が悪すぎる国内保険から海外の保険に

切り替えたり、海外での貯蓄や運営について勉強したりと、

海外生活についての情報を数多く得ていく中で、

日本という枠に縛られるちっぽけさと、

海外の自由さに気が付きます。

思えば僕自身は安定志向で、海外で暮らすという選択肢を考えたことすら

ありませんでしたが、子供たちには

日本式の堅苦しい生き方ではなく、

自由で無限の可能性を追い求める人生

歩んでもらいたいと思うようになります。

そんななかでも何は無くともお金が必要だと感じ、

さまざまなアンテナを張るようになります。

バリ島との出会い

僕自身よりも妻の方がより一層強く海外移住思考を持つようになり、

インドネシアのバリ島でカフェを経営している友人

たまたま縁あって2015年の夏休みに妻と子供二人の3人で2週間

バリ島へ滞在することとなります。

そこで妻と子どもたちはバリ島に魅せられ、本格的に

バリ島移住を考えるようになります。

僕自身もお金に縛られる人生からの脱却と、

家族皆で自由に生きていくことに対しての

憧れが日に日に強くなってきます。

思えば、思春期時代からお金に振り回されている人生で、

なにかの転機を常に探し求めてきたのかもしれません。

そこで出会ったのがアフィリエイトでした。

アフィリエイトとの出会い

とあるページで見つけたのが、

ノマド生活を送りながら海外で暮らす方のブログでした。

定期的なメール講座で、いわゆる資産型ブログを構築して

グーグルアドセンスで稼いでいきましょう!

という内容でした。

これは良い!とそこそこ良い金額の受講料を払ってスタートしましたが、

仕事がら文章を書くのは得意なほうながら、アフィリエイトに関しては

ド素人。

マニュアルに沿ってアドセンスの審査は通って、さあ稼ぐぞ!

と記事を2か月間書き続けるものの、コンサルのメールは

一方通行で、その当時の自分では内容が理解できず、

結局全く収入が上がることなく心が折れてしまいました。

※今ならその方が仰っていた内容は十二分に理解できるんですけどね。

妻子の旅立ち

2016年5月。

まずは半年だけ暮らすと、まとまったお金を持って

妻と子供二人がバリへと旅立ちます

私も会社に頼んで一週間休暇を取って同行して、10日間一緒にバリで生活しました。

バリの人々は本当に素直で明るくフレンドリー

ギスギスした人間関係やお金の悩みなど忘れさせて

くれるほどに素敵な空間でした。

妻と子供はそのまま住まい探しにバリ島に残り、

僕はバリ島で収入を得る手段を模索すべく一人で帰国しました。

ネットビジネスの師匠(メンター)との出会い

バリ島は賃金が安く、暮らすためには現地のローカルで働く

選択肢はちょっと考えられないため、PCを使って稼げる方法を

探す必要がありました。

自己資金を持って先発でバリに発った妻子。

どうやって後を追うか。

その稼ぎの捻出に関して本当に本当に悩みました。

 

「人生を変えようと思ったら行動しなくてはいけない」

 

心理コンサルを務めるとある友人に言われた言葉が原動力となり、

 

自分もバリに行くにはネットビジネスしかない!

 

ともう一度本気でアフィリエイトに取り組もうと決心しました。

 

ネットの情報を調べに調べ、吟味に吟味を重ねていく中で、

偶然出会ったのが現在の師匠(メンター)でした。

メッセージで何度かやりとりするなかで

誠実な人柄に触れて、是非この人に教えてほしい!

と思い、当時としては金額的に結構無理をしてコンサルを

お願いしました。

アドセンスのアカウントは既に持っていたので、

メンターさんの指導のもと2016年9月末にブログを立ち上げ、

メンターさんのskype指導を受けながら、

日中は会社の仕事をして、朝5時に起きて記事を書いていました。

最初は1記事書くのに2~3時間掛かっていましたが、

慣れて来るにともないそれが1時間半になり、

最終的には1時間程度で記事を仕上げられるように

なりました。

一日最低1記事を自分に義務づけて、追加で書ける余裕が

ある時や休みの日はもう1-2記事書くという生活スタイル

でした。

そんな形で記事を執筆執筆執筆執筆で、

2016年10月の報酬は745円・・・。

2016年11月の報酬が5516円・・・。

掛けている手間を考えると本当に苦しい時期でした。

小規模な爆発を繰り返して徐々にアクセスがあつまり始めた

翌12月は21414円。

そして翌年1月のはじめに大爆発が発生し、

月収10万円ペースで進行しますが、巨大なトラブルに見舞われてしまい

(別の機会に書きます)

1月は64534円。

トラブルの影響で停滞してしまい、2017年3月に

特化型のブログを立ち上げて執筆開始。

時間がかかったものの、2017年8月に目標だった10万円を大きく超えて、

166,721円もの収入を得ることが出来ました。

ちょっとトラブルに見舞われてイチから仕切りなおしたので

達成まで少し時間が掛かってしまいましたが、

会社の収入以外で口座に16万円が振り込まれた時には

不思議な感動を覚えましたね。

ややアクセス集めに時間がかかる特化サイトでした

ので成果が出るまでに半年弱かかりましたが、

その後も特化型サイトですので、外注さんにある程度

記事執筆を任せ、時間に縛られることなく自身は

マイペースな更新で安定した報酬を受け続けています。

そして、現在勤務中の会社には辞意表明して

(仕事のウエイトがあまりに大きいので引継ぎに

莫大な時間がかかりそうなのですが・・・)

私自身も夏までをめどに夢のバリ島生活に突入する

予定です。

私の好きな事

話しは変わりますが、それなりに自分が勤める業界経験が

長くなっているのでお付き合いの長いお客様に良くして頂く

ことが多いです。

美味しい食べものやお酒を持ち寄ってお客様や仲の良い

仲間と集まるのが凄く好きなのですが、この空間の

演出というかセッティングが本当に好きです。

人とかかわることが好きなんでしょうね。

基本お節介焼きなほうだと思います(笑)

まとめ

「本業と別に月に10万円の収入があれば?」 

考えても見て下さい。

たかだか10万とお思いかも知れませんが、それが12か月

続けば年収120万アップとなります。

サイトが成長していけば、10万円にとどまらずもっと高い

数字を見込んでいくことが出来ます。

余談ですが、私の所属しているコミュニティの仲間は

アドセンス収入だけで1月79万円を稼いだり、

情報発信でメール一通で370万を叩きだしたりもしています。

月々10万円の副収入があれば、よほど高額なものでなければ

購入する事も出来ますし、ちょっと旅行に行ったときに

グレードの高いホテルに泊まったり、美味しいものを食べる

ことも自由になります。

僕のように家族で海外移住の夢の実現に向けて

走ることもできます。

まだまだ僕自身発展途上ですが、これを突き詰めていって

お金に縛られない自由な生き方を実現したいと思っています。

同じ方向を見てそれを共有できる仲間が増えていったら素敵だなと

いつも考えています。

その日が来たら、一緒に語り合いませんか?

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